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東京の受験事情と塾通い・公立教育の問題?

2015-02-18

2月も半ばに入り、まだまだ寒い日が続きます。1日に始まった中学入試は5日を最終に終わり、すっかり6年生の姿が見えなくなりました。卒業までの2ヶ月足らず、お友達との思い出づくり、大切でしょう。

 

 

大学入試も、高校入試も幕を開け、依然大御所ともいう難関校が、後に控えています。さて、入塾の問い合わせもぐっと増え、2月にしては珍しく、いろいろご連絡をいただいています。また、これまで通っていらっしゃらなかった中学生(私立一貫校)なども、この冬から、高校の内容に入った学校の勉強をより深めていきたいお子さんが、ちらほらと、高校生に混ざってきてくれるようになりました。他の高校生から見れば、可愛い妹、弟格ですが、どうして理解力のあるお子さん達は、ちょっとアドバンテージになる高校数学、いい英語を学びに来てくれます。

 

永見塾の進める中学3年〜高校3年の学習は、学校の勉強もさることながら、それよりもっと将来に向けたしっかりとした大学入試対策の基盤作りのものになっています。・・・そうは言っても、「他力本願はダメ。ちゃんとご自分でプランをもって。」いろいろとヒアリングをしながら、結局は学年を取り払って、2〜4人の少人数で中身濃く勉強をしています。「学校ではできない、きめの細かさ。」これを実現しようと努めてます。

 

 

 

さてさて、本題にはいります。

 

東京の公立中学校、大丈夫なのでしょうか・・・ 。黄色信号を感じます。我が家の子供が、昨年公立中学を卒業しました。その3年前にもやはり同じ中学を卒業した子がおりますが…。さらに今の中学1年、2年生の学校での様子を見ていると、「いやーこれはたいへんだろう・・・。」と、ため息を禁じ得ません。「脱ゆとり」とは言うものの、教科の内容は増えたのに、行事そのものは減っていない。職場体験、保育所訪問、様々な活動。どれも子供の成長には欠かせない、大切な営みです。が、これに時間を割くあまり、肝心の勉強はどうなっているの…?とため息です。

 

 

内容ばかり難しくなりながら、家庭での学習習慣をちゃんと身につけていないお子さんがたくさんです。さらに。学習の進行の仕方が、明らかに3年、5年前より遅くなっています。高校入試が迫っているのに、中学3年生、「もし塾に行っていなかったら、絶対に10月、11月には解けない(全く習っていないから。)問題がずらりと並んだ模試を受けているのです。

 

とにかくみんな塾行ってるよ。行っていない人間なんか、ほとんどいないじゃん。」これが娘の言葉でした。「みんな学校で習ってても、わかっている人はすでにわかって聞いている。わからない人は、分かる気もだんだんなくなって、ある人は、「いいや、どうせ塾でやるだろう・・・。」またある人は、「ちっともわかんないじゃん。ふん。」

 

中学生といっても、まだまだ子供なのです。

 

「できるだけ遊ぼう、寂しくなったら、ねえ遊ぼ?」「点数?特に低くないよ。人並み。平均点はとっているから、いいんじゃない?」これが大方のお子さんの姿です。

 

みんなと同じでいたいのです。でも、あんまり自分の知らないところですでに勉強してきたお友達がスラスラと答えていたりすると、なんだかないがしろにされたように感じてしまうのです。「私がわからなくても、先生はいいんでしょ。悪い点、つけるならつければいいじゃん。気ににするもんか。遊ぼ。」・・・・同じようなお友達と一緒にいて不安を紛らわしつつも、その不安は拭えない。

 

 

一方で、親御さんハラハラしどうし。「大丈夫なの?なんでちゃんとやらないの?」「とりあえずいい塾、いや、どこでもいいからとりあえず塾行って。」お子さんがお家でちっとも勉強しないという嘆きは、「塾へいきなさーい!」という号令に化け、「塾へは行っているものの…。いや、行かしているものの…。」うちの子は大丈夫なんだろうか?このままでいいのだろうか?わかっているんだろうか?

 

 

だから、結局は、「大丈夫だ、」ということにしておいて、不安から、現実の不安から目をそらしたいお子さんと、「大丈夫じゃないでしょ!どうするの!」と気が気でない親御さんのボタンの掛け違えは続くのです。そこに、多くの塾はつけ込んで、「たくさん、塾でやらせます。」「お母様、ご安心を。」とやるのです。   「塾、たくさん入れたからね!ちゃんと行ってね。」こんな言葉が聞かれるようになるのです。

 

ランチを食べていても、お母様方の会話に、よく出てくる言葉です。「とりあえず、塾に行ってくれてるから安心。」・・ということにしてしまうのかな・・・。

 

塾って、「行く」ことに意味があるのでしょうか。

 

都立日比谷高校の先生方、高校3年の生徒たちに、「なんで君たちいい子で授業に出てくるのさ。ここに座っていたって、それでできるようになるわけではないんだよ。力のある子、基本ができている子、君も。あなたも。ここに来るより自分の家で勉強しなさい。ここは基本ができていない子のための講習だよ。」こう、はっきりおっしゃいます。その通りです。最後は自分でやるのです。

 

 

だから、早く自分でできるようにしてやらないと…。早く、自分の力不足と、世の中の要求レベルとの力の差、態度の差に気がつかないと。私はここが心配です。自分が活躍すべき、活躍したい、もしかしたらできるかもしれない、そういう世界を子供たちに見せてあげないと…。これが指導中に一番感じることです。

 

 

 

 

学校というところは、様々な訓練の場でなくてはなりません。もちろん人間関係、目上の人との接し方、お願いの仕方、助け方、助けられ方。クラブ活動も有効かもしれません。でも!自分の限界まで、自主自律、自己を律して早起きをする。目標を立てて、長期戦で耐え抜く。ちょっとやそっとでは、勉強だってできるようにはならないのです。その時の涙。悔し涙。惨めな涙。誰がそばにいて受け止めているのでしょう?

 

 

「勉強しろ、勉強しろ。」ではダメなのです。子供達は怖くてたまらないのです。不安だから、現代の子は真面目です。「大丈夫。そうやっていればいいよ。」誰かがそう言わないと。

 

 

多くのお子さんが受験に走る理由、塾が必要な理由。うんと深いものがあるように思えてなりません。

 

 

by Nagami Prep School 2015-02-18