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人の立場に立つ自分

2016-05-13

 

自分以外の人について考える。・・・どういう風にしたらいいのかな、どうしてあげるべきなのかな? この人の望みは何なのかな?

そう考えるのは難しいことです。自分じゃないですからねぇ、、。

 

子育てって、生まれた赤ちゃんを抱っこしたその日から、この、「何が、この子の望みなんだ?」の連続でした。

 

めんどくさい、って正直に言えば思ったこともあるくらい、オムツを替えても泣くし、ミルクを飲ませても泣くし、「こうして欲しい、ああして欲しい」と口で言ってくれないし、「よく分からない生き物」が誕生しちゃって、それは自分のせいだから、「どうしたらいいの?」っていう困惑があって、本当に困る、、。そんな夜を過ごしたお母様方は、少なくないのではないでしょうか。

 

 

子供って、めんどくさい。 もしそう思っても、自分を責めないで。面倒ですよ!だって、「おしゃべりが全くできない他人」なんですもの。

 

そんな時に、「言語能力ってありがたいな。」とよく思いました。

 

コミュニケーションから得られる心の安定って大事です。前述の通り、赤ちゃんで困った私は、「とりあえず抱っこをする。」ということで解決をつけました。触る、というのは、喋れない時の切り札。無言のコミュニケーションです

 

。確かに、一時的にしか泣き止みませんが、それでも、一瞬は、自分が何らかの要求をしていることが、相手に通じたんだという、つかの間の満足感からか、本当に一瞬は、ピタッと泣きやみませんか? そんな時に、「あ、、この子、私のことが嫌いじゃないんだな。」って思い、ちょっと安心。 またすぐにぐずぐずが始まると、「さあ今度は何だ?」と格闘するわけです。

 

 

 

「思い通りにならないもの。何がしたいのか、わからないもの。」

 

 

「他者との出会い」でした。

 

 

 

「男の人より、女の人は恵まれている。」、と主人がよく言います。「何で?」と尋ねると、「だって、他人は、そう簡単に自分の思い通りにはならない。」っていうこと学べるじゃない。というのです。 彼曰く、「思い通りに成功してきた男の人ほどダメなものはいない。」ということです。

 

 

学業でも、就職でも、仕事でも、なんでうまくいってきてしまった人は、ダメだ、と言います。彼らは「他者」がわからないし、「うまくいかない」ということに対して、naive=ナイーブすぎるというのです。(naiveっていう言葉は、未経験、騙されやすい、うぶな、っていう意味で使われることも多く、日本語では「繊細な、」っていう意味に使われちゃいがちですが…)

 

 

だから、子供の成績が悪いとか、子供が全然勉強しない、ということに関してわからないのだ。「自分が立派だったから、自分はうまくいってここまでこれた。」これがまず、念頭にあるんですね。それに対して、「自分の子供は、いろんな点でまだまだ未熟で、自分より劣っているから、ダメだから、うまくいかないんだ。」って思っていらっしゃる。

 

 

うまくいかないお子さんの人生が、わからないんですね。うまくいかないことだって、あるのに。「うまくいかない」のは、必ずしも、自分のせいばかりではないんです。何か、うまくいかない。そんなことではないでしょうか。

 

それに、実は、親が思っているほど、そんなにお子さんは困っていなかったり、うまくいっていないと、思っていなかったりします。望みが、そもそも違うのでしょうね。それがわからない。

 

 

女の方には、傾向として、特有の思い込みがあるようです。「頑張る」ことが美徳だと思っている方が多いのです。コツコツ勉強して、真面目に何度も書いて覚えたり、・・。

「90点とか、100点とか、頑張って取りたくないのかしら?」・・・「取りたくないんじゃないですか?」

 

これは衝撃的な会話のようです。

 

「他人の立場に立ってみる。」標語のようにはいきません。もしかしたら、いいえ、もしかじゃなくて、「一生できるようにならないかもしれない」くらい、難しい

「人の立場に立つ」・・・立てないのかもしれない。そう思っていろいろ想像したり、実験したり、しています。難しい。

 

 

翻って、「自分」です。

「あなたはどんな人ですか?」・・・大学、高校、最近では中学受験でも、AO入試をやっています。(いい入試だと思います。)その準備で、よく、この質問をします。(エントリーシート、すなわち、出願にあたっては、まず自己紹介が必要です。)

あなたはどういう人ですか?

そう聞かれて、考えてみると、これがけっこうな苦しみです。

 

他者もわからなきゃ、自分もわからないのか・・・。(苦笑)

 

 

高校3年生たちは、今この課題を突きつけられて、困っています。就活の大学生も、きっと同じでしょう。

私? どんな人?  ねぇ・・・。

 

確かに、「人に語れる自分」は何かしらあります。なんだか、いつも、一応こう答える、そんな「用意されている答え」=「その時用の自分」はある気がします。「先生はね、〇〇な人よ。」と語るのですが、語っている最中から、「何かが、嘘くさいな。」と感じるんです。「本当かな、、?」って私も思いますし、相手も、全然違うところで、「この先生は、こういう人だ。」ってきっと思っているだろうな、と。

「私は強いから、、」って言えば、「なんて寂しくて弱い人なんだ。」

 

コミュニケーションって面白いですね。言っていないことを聞いている。

 

みんな何か、いつも用意しているようです。

 

 

私は、引っ込み思案です。」そう答えることにしていると思われるお子さん。「私は、根暗です。人と話すのが苦手です。」いつもそう答えるお子さん。

う〜ん。本当にそうなのかなぁ・・・。そういう子に限って、話していて楽しそうです。(人と話すの、好きなんじゃない?)

 

 

 

今、「自分がわからない」悩みに立たされているのは、受験生さんです。「どうしたいのよ。」「何が望みなの?」この質問が、彼女、彼らに多大な苦しみを与えているのが、よくわかります。「自分がわからない。」と言って、夜遅くみんながいなくなってから、塾で涙を流す生徒さん・・・。「どこの大学に行ったらいいのか。わからない。」この悩みも、切実です。

 

 

これから志望校選びで、この子は何がしたいんだ?これも悩みです。

 

 

「したいようにすればいい。」そう言われて困るお子さんたち。

 

 

自由にさせてやっているのに、、。それは違うようです。

 

 

 

何が相手の幸せなのか、何をしてあげたらいいのか。これは人付き合いの基本ですから、やらないわけにはいきません。

 

 

ああ、人の立場に立ったり、自分の立場を考えたり、いや、本当に難しい。

 

せめて、一緒にお子さんの幸せを考えましょうか。自分の望みについても・・・。

 

結局は後にならないと、正解はわからないのですけれどね。

 

 

LET IT BE  っていい言葉ですね。やってみるしか、ないようですね。

by Nagami Prep School 2016-05-13