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お勉強を治す。学習スタイルを治す。

2017-09-26

久しぶりの投稿だ。

あまりいつもいつも投稿をするのは、実は好きではない。一つ一つの投稿には、思い出がある。

誰が読んでくれるかわからないこのブログは、私と誰かの出会いの場である。

せっかく作った大事な舞台は、一夜の夢のようになって欲しくない。ただ、そんな気持ちだ。

今日も誰かが見てくれるかもしれない、と思うと、ブログの書き換えはこんな頻度になってしまう。

 

 

さて、学びを治す。ただす(直す)、ではなく、治すとした。

その心は、もともと持っている力に「戻す」に他ならない。

 

 

永見塾では、入塾テストはない。

厳しい塾、レベルの高い塾だと思って、「入れないかな?」と不安だった・・・とあるお母様から伺ったことがある。「紹介でないと入れない・・」そんなふうに思っていらした方もある。実際はどうかというと、そんなことは全然ない。ふらっといらした方。近所に引っ越して、周辺野宿を回っていられる方。様々である。

 

でも、もしかしたら一番多いかな、、と思われるのは、「それまでの塾で、うまくいって来なかったご家族。」「勉強が嫌いになってしまった子。」そんな気がする。

 

そんな時、「スタイル変えてみませんか?」そう提案している。

 

大手塾の仕事は、全部断った。企業利益に縛られたくはない。小さい頃、童話で読んだ「街の靴屋さん」あのイメージがいい。

私は、お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、そんなものを兼任する先生の端くれになりたい。それは、塾だからできる、そういうものかもしれない。小さな塾だからいい。

 

永見塾では徹底して、「勉強の仕方」を教えている。家にいる時間が最も長いのだから、当然だ。大手の塾はその対極にある。なるべく塾に来させようとする。

どちらがいいのかは、お好み次第だ。一人で勉強できるようになれば、お金はかからない。都立高校、国立大学に息子2人は進んでくれた。感謝しかない。私立が悪いわけではない。

 

ただ、理系は国立がいい。使える研究費が違いすぎる。私がいた千葉大学医学部はは、戦前の旧六帝国医大が前身だ。その伝統と教えの凄さは、語るまでもない。自信を持って、すごくいい大学だった、と思っている。余裕。雰囲気。伝統。考え方の随所に、重みがあった。

 

 

先輩から習ったことがたくさんある。

「努力っていうのは、一方向にしなさいよ。」

テニスのサーブを強打しては、ラインオーバーのアウトとネットを繰り返す私に、そう言ってくれた。

 

「さっきから見てるとさ、①強く速く打ちたいの?②ラインに入れたいの?③アウトが怖いの?ネットが嫌なの?ずっと見てたけど、何にもわかんないんだよね。」

こういう指摘。確かに、「速くて、強いサーブを、ラインぎりぎりに打ちたいわけだ。ネットをすれば嫌だし、ネットを恐れれば、アウトする。」欲張っていっぺんにやっていた。うまくいかないからやめる訳にもいかず、また練習はするものの、うまくはいかない。でも、自分では工夫しているつもりで、また練習する。

 

この「繰り返し」は、思考停止でしかない。考えることが面倒になり、惰性で練習していたかもしれない。「ウマクナラナイナァ・・・」と。なんて面白いこという先輩だろう!

こんなことが日常茶飯事だった。何をやっても、学びに繋がった。どんな人にも、ものすごく勉強になる大学だと思っている。

 

 

この「努力は1方向!」は、小学生、中学生、高校生みんなの合言葉である。成績をいきなり上げようとしない。アゲルではなく、アガルように、一つずつ直して行くのだ。

 

必ず一つずつ。だから親御さんには待っていていただく。「今、一個ずつやってるの。最後にぜーんぶ綺麗に直るから、楽しみに待っててね。」可愛らしい声でお子さんが言うと、どんな親御さんにも、待ってくださる。それが本当の応援であることを、みんなちゃんと分かっている。  ただ、不安なだけだ。そういう言葉がない時は。

 

計算にしろ、読解にしろ、英語を読むときも、理科や社会の問題を解くときも、どんな場合も、「初めはゆっくり」だ。絶対に間違えないスピードを覚えさせる。絶対だよ!大丈夫?と声をかける。ゆっくり、ゆっくり。

 

読解もそうだ。とりあえず読んで失敗している子が多い。最悪の「戻り読み」。これは駄目。国語の場合は、「どんな読み方をしているか」、は解答に現れるのだが、「読めてない」という形でしか目には見えないから、教えるポイントが分かりづらい。でも、教えるポイントは、確かにある。一緒にじっくり問いかけながら読む。そうすると、初めて、本当の「読み方」を教えられる。ほとんど親子のように、心の通った時間を過ごす。一方向に努力していれば、必ず前進する。

 

 

学習スタイルは学びの原点。これ以上大事なことはない。東大、東京外語大、慶應、そういう学校に進む子は、学びのスタイルがいい。それは、誰もが言う言葉だ。

「学問」といえば、どの学校にも個性がある。娘は学習院で、いい学びをしている。

 

 

大学の価値においては、偏差値はほとんど関係がない。

 

大学というところでの学び方は、もっとダイナミックだ。高校までの成績や、点の取り方にも現れ内ではないが、もっと力がないと学びが続かない。

爆発的に、「自分でもっていく力」が欲しい。グイグイと、音がするような勉強の仕方。アレヨアレヨという間に、どんどん拓けて行くような。そんな学び方に治している。

 

本来、人間には、特に子供には、そういう学び方が宿っている、と私は信じている。

 

余談だが、「ひらく」という言葉は、「啓く」と書ける。「人を教え、導く」という字だ。分からなかったことが、わかるようになる。

「人を啓く」そんな学び舎に、足を進めて欲しいと思っている。

 

 

 

by Nagami Prep School 2017-09-26