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随想 リズム

 
seasons

行事というものは、良いものですね。わたしたちの一生は長いようで短いです。
LIFE STAGE なんて言葉がありますが、節目ごとに何か行事を入れていく、そんなことがいかに大切だったのかを、ふと思い出すことになった、ここ1、2年でした。

人生は、言うほど目まぐるしく常時移り変わっていくわけではなく、ふと気がつくと知らない間にがらっと変わってしまっていたり。久しぶりに訪れた街並みみたいなものかも、、。

歳時、というのは、いつからどのように始まったのでしょう。たぶん初めは大地の神に祈り、畏れ、、、。何も知らなかった人たち、science という理解を持っていなかった人たちが、どのように、溢れる川や吹き荒れる風に、向かっていったのでしょう。とても興味深いです。

日本の歳時は祭事であり、桃の節句、端午の節句、お彼岸、十五夜、、、精霊流しや菊祭り。誰が考えたか知る由もなく、一年にうまく配置され、それはそれはリズミカルだと思いませんか。さらに四季の花々や木々、春夏秋冬の色の変化 gradation。それが加わったらもう、色と光の orchestra。日本は交響楽のような、楽しいバリエーションに溢れた景色を持った国です。火山列島ならではですね。

温度の variation も素晴らしい。秋になって冷たい風が吹きはじめると「あ、衣替えしなきゃ」と箪笥の中でお引越し。「半年間ご苦労様。」そんな声をかけて奥の方にグッと押しやる夏の服。過ぎ去った時間を閉じ込めて、「来年はこの服を着るのかな、、、」とふと手を止めてじっと見つめる。これから来る時間はどんなものなのかしら、、、徒然おもいめぐらしてみたり。

内山節さんという方の文章が入試問題によく出ます。とてもいい内容だからなのはもちろんです。気品ある文体ではあるけれど、気取ってもいず、堅くもない。でも芯がしっかり通っていて、「日本ってこういう国だよね、」と優しく語りかけてきます。多くの国語科の先生方がお好きな理由がよくわかります。気品と、指摘の鋭さのバランスがとても良いのです。

「循環する時間」内山さんは「里山の思想」で知られた方ですが、日本古来からの時間の流れをこう呼んでおられます。巡る季節の中で生きてきた私たちにとって、風土が感じさせる時間感覚は、西洋のそれとは異なるのだと、彼は説いています。「また春が来たね。」そういう私たちには、グルグル回る🌀 時間があって、今年の春は、去年の春や一昨年の春と同じところにあるのです。それは「来年の春」の予感もさせて、時間がぐるぐる、ぐるぐると私たちの周りを回っていく。その中で、私たち人間は、ほんのちょっとの間、この世にお邪魔しているのでしょう。時間の流れはどこにもいってしまわない円環の流れなのです。

ところで、vary という言葉をご存知ですか。「さまざまに変わる」とわたしはこの言葉を訳しています。英単語の訳語は、わたしは中学生の頃から自分でつくります。誰かがあてた日本語の訳語の意味に、その英単語を押し込めてしまうことが嫌なのです。言葉が死んでしまうか、硬くなってしまう気がするのです。わたしの言葉は、わたしのものでなくてはいけない。そう思いました。「わたしがこの言葉をこういう言葉だと思うのだから、それでいいじゃない。」そんなふうに生意気に考えてきたのです。だから、英英辞典しかひきません。生徒たちもそうしています。

vary は「移り行く四季」にとても合う言葉です。綺麗な言葉だと思って、大好きなんです。そこから various いろいろな、という形容詞が生まれます。ほんとうに秋の野山の紅葉のように、まさにいろいろな色が見えるのです。どれひとつとして同じでない。variationvary の派生語です。いろいろな音色、いろいろな絵、いろいろ変わる心。さまざまな plan。素敵な言葉です。

The colour of a rainbow varies.
虹の色を colours としないところが素敵なんです。

小さいころに、父に聞いたことがあります。

お父さん、誰がはじめに言葉をつくったの?
誰が一番最初に、あ、このことはなにかに書いておこう、って思ったの?
そして文字が必要だ、と思ったの?

こういう形にしようとか、こんなのも欲しいとか、楽しかっただろうな、、。質問はいつしか問いになって、ずっと残っているのです。宿題です。太古の昔に思いを馳せるのは、今もわたしの癖で、そういう時が一番いい。

知性が、自分以外の人を包括して、「伝える」「残す」「著す」そういうものになっていった経過が知りたいな、というのが、わたしの勉強の根源的な欲求でした。文学や英語に没頭した中学~高校1年、生物学にのめり込んだ高校2~3年。医学部に進んだのもそのせいです。知りたいという想いが身体の仕組みを通り越してしまい、収拾がつかなくなってしまって、今に至っています。わたしは、人間をもっとよく知りたくなりました。同時に、わからなくもなりました。医学部には、知りたいっていう人はほんとうにたくさんいて、音楽だったり、歴史だったり、みんな勉強が好きです。みんな「理解したい」っていう子供のような気持ちを持っています。ふと立ち止まって、なんなのかな、と考える癖のある素敵な人がたくさんいました。ただ、わたしは無邪気な知りたがり屋さんは嫌いです。知らないでおく、っていうことがどこかに必要な気がします。何でもかんでも、やればいいというものではない、そう思っています。

最後に宣伝をしましょう。
ながみ塾では、全ての教科を学べます。英語、数学、だけでなく、理科も社会も、国語も。全ての教科にわたって、「学ぶ」ということを小さい時に正しく理解すること。それがわたしの塾です。学ぶ、を学ぶ。どうしてこんなものを作れたのかな。そう思って教科書を見る。

「人類5000年の文明が数年で手に入るんだよ。」勉強が楽しくないはずはないじゃん!
「人間は考える葦」ですから、子供はつい勉強しちゃうんです。

 

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