ながみ塾 Nagami Prep School

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2024.03.09また新しい春。

2024年の受験が終わり、ご卒業の時期を迎えています。


今日は主な国立大学の合格発表の日でした。通塾している生徒で、一般入試を受けた子はいませんでしたが、卒業生は難関、旧帝大を受験しています。とても厳しい入試でした。
また、今年の高校入試では、進学重点校の都立国立高校に1名合格しました。その他、函館ラサール高校に2名など、その他全部で8名の中学3年生が、それぞれに健闘できたと思います。


大学入試も含めて、簡単ではないな、受からないな、という経験をした生徒もいれば、受けたところは全部受かったという子もいます。こればかりは、本当に難しいものです。『受けるところに受かるように準備する。』『受かるところを受ける。』まさに、言うは易し、行うは難しです。


この時期は、毎年のことながら、いろいろな思いに駆られます。その中で、今日は『正しさ』にふれたいと思います。









さて、お勉強をしていく中で一番大切なことは『正しい』ということです。


  1. 学ぶということを大切にする。先生の話を聴くときに、よく考えて聴く。
  2. 習ったことをもう一回見直す。1人の時間に、一体自分が何を知ったのか整理する。
  3. 目標を持って、そこまでの行程、道のりを意識する。

こういったことは、実はとても難しいのです。それは、日本の文化と関係があるのではないかと、私は勝手に考えています。


日本には『習い事』の文化があります。修養とか修行という言葉もあります。『師について事を知る。そこから自ら研鑚を積む。』古来から、この順序で学びが始まっていくのが一般的だったのではないでしょうか。


現代では『受験の準備をしよう。』『成績を上げたい。』『何か変えたい。』そう思った瞬間に、真っ先に考えることが『塾、探そう。』です。ここに、日本文化の影響が出ているように思います。 『習わせよう、修行をさせよう、師につかせよう。』多くの場合、教わることがスタートになっている気がします。


一方で、西洋風の考え方では、何か目標を設定したら、まず考えることは『どうやろう?』です。習おうでも、習わせようでもなく、本人が何から始めようか、と考えるところに始点があります。


このいい例に、ファッションデザイナーになろうとしたドイツ人の男の子の話があります。彼は、目抜通りのショウウィンドウになんとも素敵な革のブルゾン(ジャンパー)を見つけるのです。自分が着たいと思う以上に、彼はそういう素晴らしい物が作れるようになりたいと願います。その後しばらくの間、彼はものすごい勢いでお金を貯めます。そして、一ヶ月後に店に行き待望のブルゾンを手に入れます。


ここからが、面白いのです。なんと彼はようやく手に入れたその美しいブルゾンに、なんとハサミを入れるのです。縫い目を切りながら、仕立て方をメモし、バラバラになっていくパーツの型紙をとり、全部壊した後に、全く同一のパーツを用意した後で、また縫製し直して元のブルゾンに戻したそうです。もちろん、後にもう一つ同じものを作ったことは言うまでもありません。彼はそうしてパタンナーになっていくのです。


この話、幼い頃の私に通じる物があります。小児科医の母は、子供の面倒を見るのにはあまりにも多忙でした。戦前生まれの父は、戦争に向かう日本に生まれ、混乱の中で育ち、敗戦を見ます。日本式の教育に限界を感じたと、いつも口癖のように私に言いました。そして私を特別に育てる、と宣言しました。私が9歳くらいのことです。『独学でやれ。』それが父の教えでした。


あのドイツの少年と同じく、『どうなっているの?』と思うたびに私は教科書を読みました。『わからなくなっちゃった』そう悲しく思うたびに、問題集を前の学年のものから全部解き直しました。私は、現代の子供たちに、このような強さを身につけて欲しいと思っています。それが塾を自分で開いた一番の理由のような気がします。


『自分で自分を育てる。自分をデザインする』
①どうなろうか。(憧れ、夢を持つ)
②どうやったら、そうなれるか。
③今、自分はどのくらい出来ているのか。
④後、何をやったらいいのか。(→これを 『引き算をする』 と呼んでいます。)


そう考えることが正しい道だよ、そう教えています。ながみ塾の勉強のスタイルは、生徒の自立を促します。難しいすぎると思わないでください。正しくないと、決して成功しません。また、正しいことをしていれば、いつか必ず成功します。


正しい道を行く。その時に初めて、真の自分の姿に気づけるのだと思います。

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