ながみ塾 Nagami Prep School

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2024.11.04よく生きる。

塾の授業の中で、生徒さんたちにこんなことを言います。


「今日をよく生きる。それでいいのではないかな。」


私は、四谷の雙葉学園に、中学高校の6年間通いました。
その中で心に残っていることは、校長様シスターバンサン、中村光江様のお言葉です。
6年間の生活では、私たちはシスター方をはじめ、先生方の愛情に満たされて過ごしました。
「学者にならなくてもいい。キャリアウーマンにならなくてもいい。ただ、良い母になりなさい。」校長様はそうおっしゃいました。


ある子が質問をしました。「校長様、それでは、結婚をしない人はどうしたらよろしいのですか。私は将来結婚しようとは考えていません。」私はハッとしました。ずいぶんしっかりと考えを持っている人もいるのだなと。少しだけ、ドキドキしました。












すると、校長様は微笑みながら、「あら、そう決めていらっしゃるのね。では、そういう方は自分の仕事を子供にするといいわ。お店でも、会社でも、なんでもいいのよ。一つ何かを育てて生きていけば良いわ。良い人間を一人でも良いから、世の中に残して、一生を終える。何か自分が大切に育てたものを、世の中に残しなさい。それで良いのよ。」そうおっしゃいました。


その日がいつだったか、何年生の時だったか、私はもう覚えていません。ですがその言葉が、私の心の疑問や、悩みや、難しいことを全て、その日たちまちのうちに、綺麗さっぱりと洗い流してくれたように感じました。
(なんて簡単。) 私はそう思ったのです。


その教えを心から気に入ったからでしょうか。(これでは笑い話になってしまいますが、)私はそっくりそのままの人生を送っています。大学に6年通い医師免状を取ったのに、私はどこにも入局をせず、そのまま子育てをする生活を選びました。「そんなこと、していいの?」そういう声も聞きました。「なんのために、医学部に6年も行ったのよ。」女医として生涯を医業に捧げた母は、失望以上に、理解ができないと怒りました。半年近くも、口を聞いてももらえず、お金も出してもらえない日々が続きました。当たり前です。


でも、私はとても図々しく、自分は間違っていないと思い、ことある毎に、校長様のあの言葉を思い返していました。どう生きたっていい。でも、一生懸命何かを育てよう、と。それから私は5人の子供を一生懸命育てました。目標はいつも、「その日を最高に良い日にするよう、一生懸命に生きること」でした。良い母親になることに全力で取り組みました。どう言葉をかけたらいいのか、何を子供に与え、何を与えなければいいのか、真剣に考えました。すると、16年の月日があっという間に経ちました。その間の離婚も、困窮も、寂しさも、気にはならないほど、私は一生懸命でした。


そしてちょうど39歳から40歳になる頃でしょうか。私は塾で働くことを始め、自分で塾を開くということをしました。育てるものが、自分の子供から一回り大きなものになりました。それがこのながみ塾です。いろいろなことがありましたが、私は、このながみ塾を育てる日々を楽しんできました。多くの生徒さんたちに言い続けてきたのです。「よく生きていれば良い」と。


成績が上手く取れない時、寂しくて勉強に向かえない時、つい目先のことに気を取られていて、自分がうんと出遅れてしまったと知り、心から怖いと思う時。そんな時に子供さんたちは、とても悲しいお顔をします。中学生や高校生でも、です。怖さと年齢は関係ないのです。


そんな時に私は言います。「どんな成績だっていい。どんな学校に進んだっていい。よく生きてるっていうことだけは、頑張って。今日の自己ベストを出せばいいの。それしか出来ないけれど、そう思うと簡単よ。」よく生きてる、と自分に自信が持てると、学校やテストでのパフォーマンスも良くなります。無駄な緊張感から萎縮することもありません。努力が苦痛にならなくなります。だって、結果は何でもいいのですから。


人間は失敗しながら生きるので、失敗しないように生きることは出来ません。失敗を怖れると、怖くて何も出来なくなってしまいます。とは言え、無謀に乱暴に挑戦することも、良いとは言えません。しっかり丁寧に計算をして、よく生きる方向に努力すること。これを始められたら、あとは、周りの人がみんなで応援するだけです。丁寧によく生きる。そのために必要なことは、嫌でもする。校長様のおっしゃった通り、雙葉生として、よく生きて良いものを残していきたいと願っています。来てくれた生徒さんの心に残る力を、残していきたいと願っています。

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