ながみ塾 Nagami Prep School

blog 最新と過去の記事

2025.04.23勉強する子、しない子

学習塾を開いて18年が経ちました。なんて長い年月でしょう。今教えている小学生はだいたい9歳から12歳。中学生は13歳から15歳。
「あなたたちが生まれる前から、塾でこうして教えて来たんだよ。」
そう私が言うと、子供たちはキョトンとします。18年という時間が、ピンと来ないのでしょう。


そうして考えてみると、人間の人生は、長いとは言えません。幼い頃は、まだなんの物心もつかないし、老人になったら、動作もゆっくり、考えることもゆっくり。実際に活動的な年月って、15~18歳くらいから、60歳くらいまででしょうか。
「えっ、たったの、40~50年だ!?」
「あら、あら、なんということでしょう!」


ちょうど、私が40歳になった時、千葉大学の医学部の同窓会がありました。『みんなが40歳になったから。』そんな理由で企画された会だ、と聞きました。それを聞いて、「へぇ。」と思ったことを記憶しています。








「なんで、40歳?」そうある1人に尋ねると、
「人生の折り返し地点だからだよ。」そんな答えが返ってきました。
「今までは上り。ここからは下り坂でしょう?」と。


(そうなのかな?) 私が考えたこともないことを、私の大学の友人たちはよく口にします。その度に、「この人たち、頭がいいな。」と私は思います。(とても満足です。)さて、40歳は折り返し地点なのでしょうか。


私は、大学卒業後、国家試験に受かったものの、「医者はやらない。」と言って、小児科医院を開業し、後継ぎを期待していた母を大いに失望させました。それから16年間、私は大学から雲隠れをしていたのです。テニス部の後輩たった1人とは連絡を取るものの、同級生とは一切連絡を絶っていました。そして、16年間をかけて、私は子育てをしました。5人です。離婚をしていたから、いろんな人に助けられはしましたが、独りで頑張りました。そうして、たまたまある1人と連絡を取る機会があり、私は同窓会に呼ばれたのです。


「あ、珍しい奴がいる!」私を見つけたある人が叫びました。
「ホントだぁー。うわぁ、今まで、どこにいたの?今、何してるの??」こんな感じです。
みんな、バリバリのお医者さんです。活躍しています。私は、完全な場違いです。








「なんで医者、やらないの?免状あるでしょう?」こうも聞かれます。
「やらないって決めたから。」私の答えは、いつもこうです。すると必ず、
「へぇー。変な人。お金とか、困るでしょう?離婚してるんでしょう?」こんなことも言われます。
「うん。でも嫌だ。」
「えー、やっぱり浜口さん、変な人だね。面白いね。」こう返されます。


この同窓会の後、私は大手塾で半年、講師のバイトをし、自分の塾を開きました。41歳の時です。私はちょうど折り返したのですね。でも、上りと下り、とかではなく、北と南、みたいな感覚なのです。笑。
そして、今、私はちょうど自分が18歳の時に戻ってきているような気がします。行った道を帰ってきているような気持ちです。


さて、こんな場違いの同窓会に、また、それから16年経ってから、ひょっこり行きました。一昨年です。そして、この冬も。相変わらず、もう、本当に場違いなのです。千葉大学の医学部を出たお医者さんは、医者の世界では誰もが知ることですが、実力もステイタスも大変高いのです。優秀な勤務医や、大学の教授。病院長や副院長だったり、同時に、医院を幾つも持っている経営者だったり・・・・。その度にその場にいて思うのです。


(私、なんでこんな世界に入ったのだろう・・・・結局出ちゃったのに。)


この自問自答が、ほぼ、私の人生です。いつも自分に、同じ問いを問いています。
「どうして、あそこに行ったの?なんのためだったの?」
そして、ちゃんと答えもあるのです。毎回、同じ。
「この人たちに、会うためだった。」です。私は、人に会うために勉強したのでした。


『よく勉強する子』は決まって、『人に会いたい子』です。必ず、出会いを求めています。会って、知って、そして自分が変わっていきたいのです。刺激を受けたいし、「これじゃダメだ。」と思いたいのです。


『勉強しない子』は、『誰にも会いたくない子』です。変えたくないし、変われ、と言われたくないし、そっとしておいて欲しいのです。少なくとも、今は。


だから、1人の人間でも変わります。よく勉強する時もあれば、勉強しない子の時もあるのです。
『求めているか、求めていないか』なのですから。ずっと勉強しない子なんて、世の中にいるはずがありません。人は人を求めるからです。求めて、会って幸せになりたいからです。


世の中の親御さんに中には、塾とは、勉強しない子を助けるところだ、と思っている方がいます。
でも、それは違います。そんなこと、出来っこしないからです。それよりも、もっと、もっと大切なことがあります。
それは、『よく勉強する子を救ってあげること』です。


彼ら、彼女らは切実です。身を切られるように辛いのです。「誰かに、会いたい。」みんな、そう思っています。会って良かった、と言える人に出会うまで、彼ら、彼女らはひたすら勉強をします。その時に、見えない頂の向こうに、必ず会いたい人がいることを、私は教え続けています。


「頑張れ!まだ、止めないよ!ここから、もう一回頑張れ!」
「後ちょっとだよ!必ず、届くから、もうひと押し!ここでもう一歩、前に出よう。」そう励まします。
「そうすれば、必ず、会いたい人に、会えるから。」そう言います。


今年、都立小山台高校に、素晴らしい成績で合格した子がいます。4年生の終わりから、5年間教えました。5年間の間に、何度こう言ったことでしょう。


「必ず、必ず後で返ってくるから。必ず、意味があったと分かるから。ついて来て。」と。


「感無量です。5年間ありがとうございました。」と、彼は言ってくれました。


感無量、計り知れない思いです。彼は、これからの人生において、多くの『会いたかった人』に会えるでしょう。また、もっと違う人に会いたくなったら、また彼は勉強するでしょう。一生懸命に。そうして、世界を泳ぐように進んでいくんだということは、もう、学んだのです。きっと、出来るでしょう。果てしなく。自分の人生を満足のいくものにする術を、彼は身につけたのです。


子どもたちに、『その先にある未来を見せる。』それが私の仕事です。それが、先生、先に生きてる私たちみんなの仕事です。どの大人も、そうでなくてはなりません。必ず、そう思っていなけれないけません。
勉強する子の時なのか、勉強しない子の時なのか。自分の子供をよく見極めて、心を満たしてやらねばなりません。それが親の仕事です。親は先に生きているのですから。頂の向こうに何があるのか、先に行って見て来てやらねば、なりません。

過去の記事