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2025.10.07作文・中学生
普通の塾とは、一風変わったことをする塾です。目標は都立高校、そして国立大学、その先は立派な大人です。お金をもらうに相応しい仕事が出来る人。道に迷った人に、進路を示せる人。少なくとも一緒に歩いてあげられる人。
『僕は、幸福とは、「誰かがそばにいること」だと思います。誰かがそばにいると、片方の足が動かなくなっても、片方が肩を組んで一緒に進むことができます。
話が変わりますが、僕は「人」という字が、とても幸せだと思います。一見、支えあっているようにも見えますが、よく見ると、どう考えても右の負担が大きく見えてなりません。左は、右から支えられて、さらなる高みを目指しています。この左は、影から支えられ、支えられた力を生かし、さらなる上に向かっています。僕はこれこそが幸せなのかもしれないと思いました。〔絶対にこうだと、一般人が理解できると思いませんが〕ですが、右の負担が大きい方にも、幸福感がないとは言い切れません。左の立場の人から感謝されたり、自分が人を助けていると言う事実に満足感を得ていたり。
人は何か目標をもとに努力をしますが、その努力も、結論にいたるまで本当に正しい判断だったか、幸せな結果を得られたのか、有意義な行動だったのかは断定できません。幸福には、その努力の過程から生まれるものもあると思いました。また、人を幸福にするのも、とても難しいことだと思いました。なぜなら、その人の幸福の価値観を知る必要があるからです。自分がされて幸せなことを他人にしても、その人にとって、それが幸せではない可能性もあります。その可能性を呑んでまで、他人を幸せにできる勇気があるのかと問われると、僕は曖昧な答えしか返せません。
正直、自分にとっての幸せの価値観も、はっきりと答えることはできません。幸せとは何なのかと言う課題でしたか、僕には哲学的すぎて具体的に答えることはできません。ただ、生きている限り、人生では必ず感じることができるものだと言い切る事はできるのではないかと思います。動物の中で、本能的ではなく、理屈的に考えることができるのは、人間だけだと言われていますが、人間の幸せは、プログラムに逆らって生きることができるからこそのものなのかと思いました。』(中学1年生)
国語の作文の授業で『ポジティブは幸福か』という文章を受けて、中学1年生から中学3年生の生徒たちが、それぞれの『幸福論』を展開しました。
文章力は、書くことによってしか培われません。講義を聞いて、問題集をこなし、テストを受けただけでは、文章力はつきません。国立大学に行くには、文章力が必要です。アイウエオの選択肢ではないのです。自分以外の人に自論を展開する力。みんな、地道な努力を重ねています。
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